平成20年12月16日(火)、火防(ひよけ)・火伏せの神として知られる 秋葉神社の祭礼が執り行われました。「火」を取り扱う「窯元」としては、欠かせない行事となっています。
多治見市会議員2名、滝呂区会長、財産管理会長、商業組合理事長、合同労働組合、氏子、滝呂陶磁器工業協同組合、計26名が参列しました。
文献によれば寛政5年2月滝呂郷の加藤定吉翁が京都聖護院御門主へ水指しを献上して、滝呂焼の御銘を賜ってより大いに面目をほどこし、以来年々上納に努めたといわれています。この加藤定吉翁をはじめ、滝呂地区の窯業発展に寄与した先人を総じて陶祖と仰ぎこの碑を建立されたそうです。
陶祖碑建設にあたって、昭和28年5月の総会において提案され、昭和29年5月の理事会において当時の理事長柴田桂一氏の発議により建設委員会が設置されました。松原太蔵氏等により、陶祖の歴史等の探求が始まる。当組合創立30周年を記念して昭和35年4月建立。
(有)五鳳製陶所の昔の登り窯跡の風景です。
使用済みのエンゴロが積み重なっています。
当時の活気が伝わってきます。
美しく夕日に映える煙突の風景です。
(有)山万製陶所の重油窯の煙突です。
滝呂地区における窯業の起源は、多治見市が発掘調査した日陰窯跡より、と陶片が多数出土し、約400年前のものと推定され、当時より、窯業が盛んに行われ、今日の基礎となっている。また、現存する古文献によれば、寛政5年、滝呂郷の者が京都聖護院の宮様へ、水差しを献上して、滝呂焼の銘を賜ったとの記述があり、当時より、滝呂地区の窯業は、繁栄していたと推察される。